Industnatural(インダストナチュラル)

「インダストリアル」と「ナチュラル」のハイブリッドライフを提案&実践中

移動式コンテナハウスを製作するプロジェクト その理由

住居について、よく考えるようになったのは小学生の頃から。

 

新興住宅地に育ち、近所の建物の多くは高度経済成長期に立てられたペラッペラの木造家屋でした。それでも多くの家が土壁で、瓦屋根でした。あるとき、グラスウールを使う家が立ち、集成材の柱を使う家が立ち、だんだん風景が変わっていきました。小学生だったのに、家の構造まで見ていたのは、そうした家々が立っていく場所がもともと僕らの遊び場だったからです。農地や、林や、池や、山でした。

 

そんな場所にどんどん宅地が、住宅が、つくられていったのです。当時の作業現場は今ほど厳しくなくて、少なくとも家の骨格が見えてくる頃までは、まだ僕らの遊び場と言えるような雰囲気がありました。縄張りというほうが合っているかもしれない。

 

僕らの場所にやってくる重機や作業員のおじさんにも興味がありました。夕方、彼らが帰ってからも、僕らは現場に近寄ることができました。塗られたばかりの土壁をないしょで触ってみたこともあれば、めずらしいグラスウールの切れ端をゴミ箱から持ち帰って、あとでチクチクして大変な目にあったこともありました。

 

ドアやサッシが取り付けられる頃には、さすがに他人の家という様相になるためか、それとも、元遊び場であることを諦めてしまうためか、あまり興味を持たなくなりました。そして次の遊び場で、また別の宅地造成が始まるのです。

 

そんなわけで、住宅の構造を見る機会が多かった。

 

そして、そのような新しい家に住む人たちが、十年もすれば増築をしたり、二十年もすれば、そっくり立て直してしまったりということも見てきました。

 

ありがたいことに僕の家はそうした世代の家よりも少しだけ古くて、そして、古民家と呼ばれそうなほど古くもないという、ちょうど良い時代に両親が思い切って建てたものでした。そのためか、今でも存在していて、借りて住んでくれている家族があります。両親は土地と家とで300万円ほどを借金したそうです。完済したのは築後15年か、20年のことで、返済中は今とはまるで違う高金利のために、ほとんど金利を払うばかりだったのではないかと思いますが、それでも、完済後の価値は土地が3000万円、家が500万円ほどにもなっていて、金利に追われながらも、不動産としての価値が先を走っていたようなもので、不思議なものです。

 

そこにマネーゲームのような面白さや不動産投資の面白さを見出していればそのようなビジネスで成功していたのかもしれませんが、僕はその方向にはまるで興味を持つことができず、それよりも、僕らの遊び場を奪った家々の短命ぶりに驚き呆れて、あんなサイクルにだけは入りたくないし、借金するのもいやだと、そんなことを思うのでした。

 

そして19歳の頃には ーそれはもうずいぶん前のことなのですがー 年金基金が破綻するはずだと確信していました。2019年には、2000万円用意せよというようなニュースが出たり消されたりしましたが、そんなことは余命と毎月の経費から計算すればまったく当然のことで、そんな金額を用意できるかどうかということよりも、いかにしてお金と時間を自分の味方につけるかが重要だと考えていました。

 

コンテナハウスの話のはずが、前置きが長くなりました。

 

要するに、住居について疑問のような反発のようなモヤモヤとした想いが根底にあります。もちろん、いろいろな考えがあって良いと思いますし、コンテナハウスが世界を救うというようなことを言うつもりもありません。

 

僕は、「自分の手で自由に作ることができるような空間を、自分の手で自由に作りたい」のです。