Industnatural(インダストナチュラル)

「インダストリアル」と「ナチュラル」のハイブリッドライフを提案&実践中

個人によるオフグリッドの前に、社会のグリッドが崩壊しつつある。

2022年のオフグリッドについて思うこと。

 

「オフグリッド」・・・この用語と出会い、憧れたのは2000年ごろ。気がつけば、もう20年以上も前のことです。当時は超デフレで、キャンプブームでもなく、インバウンドもまだまだ。エアビーが日本で知られるようになる10年以上前。iPhoneもなかった。

 

その頃、山の安い土地を開梱し、いろいろな実践をしてみました。

エネルギーについて、水道光熱通信について、ライフスタイルについて、いろいろと考えていました。

 

その後、人としてのあれこれに折り合いをつけながらできるだけ合理的な暮らしを作り上げて、ビジネスのような社会的な活動もそれなりに経験して、なんとかひと段落したところでした。リタイアには早すぎるとしても、セミリタイヤくらいは許されるかなという段階。個人として経済的なリスクはとれないとしても、時間や労力についてはかなり自由が効く段階。そんな今だからこそ、オフグリッドについて、もう一度ゆっくり考えてみたいと思っています。

 

「風の時代」という謎の言葉が、マヤ暦の終焉ほどには騒がれないのが不思議だなあとぼんやり思っているうちに、嫌でも時代の変化を感じるようになりました。コロナやら戦争やらインフレやらで、スピリチュアル関係者でなくても、トレンドを導く言葉やニュースに敏感でなくても。時代は大きく変化してしまった。

 

ひとりひとりがオフグリッドを好んだり、意識したりしないうちに、社会のほうが勝手にオフグリッドしていくような、グリッドをリセットしたがっているような気がしています。

 

グリッドとはそもそもきれいに揃えられた構造であって、その構造がより大きな力によっていびつにされたり、破壊されたり、なかったことにされたりしていくことを感じています。

 

電力が足りない、電波が足りない・・・ 電話番号もクルマのナンバープレートの数字の組み合わせも足りないし、半導体も足りない。石垣島では三味線をつくる木がもうない。京都や奈良の神社の建て替えでも集成材を使うようになった。蜂蜜が足りない、ゴマが足りない、畳のイグサがたりない、大豆が足りない。・・・ 気がつけば、いろいろと足りない。

 

個人がオフグリッドするよりも前に、社会のグリッドが崩壊しつつある。